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ありがとうございます😊
先週日曜日に行った
飯舘村の『復興さくらまつり』!
前勤務関係でご縁のあった恩師より、
『 禅語(ぜんご) 』
を学びました(^ー^)✨
【禅語】とは、
禅宗の文献に記された言葉。
(引用:ピクシブ百科事典)
禅の教えや悟りの境地などが
短い語句に凝縮されている。
短い中にも深い意味があり、
日本人の生活の中に
根ざしている言葉や教えが多くある。
色々調べてみると、
普段何気なく禅語を使っていることに
驚きました(@ ̄□ ̄@;)!!
【 普段何気なく使っている禅語 】
「 挨拶 」
「 無事 」
「 沈黙 」
「 我慢 」
「 玄関 」
「 工夫 」
「 知識 」
「 主人公 」
生きていく上で
大切なヒントを
与えてくれていたのですねー!!
さてさて、
復興さくらまつりで教えていただいた
『禅語』
帰宅後、さらに調べてまとめてみました!
復興桜に
寄り添うように頭を出している
『松✨』
を観ながらご覧ください♪
⬇️ ひとつ前のブログにも出場してます。
『 松樹千年の翠
(しょうじゅせんねんのみどり)』
四季折々、
見頃というものが存在する木々は
スポットライトを浴びることができる…
一方で、
見頃のない木々もある…
松のような常々緑色をしている樹木の多くは、一年を通してほとんど変化がない。
ずっと緑のままで、
姿を変える時がない…
見頃という旬というものもない。
変わらない姿…
しかしながら…
見頃がないとは、
逆から考えれば常に見頃だともいえる。
そうした視点から生まれたこの禅語…
『 松樹千年の翠 』
松は夏の猛暑のなかでも、
冬の吹雪のなかでも、
その針葉を天へと向けて
変わらずに佇立している。
それはあたかも、
時代や流行に流されることのない
確固とした「自分」を持った存在にも…
目まぐるしい変化の時代の中、
黙々と不変の緑を保ち続ける松。
旬を終えた木々は、
寒々しく冬を迎えるなか、
松の緑は変わらない。
人の真価があらわれるのも、
冬のような逆境や苦境に立ったそんな時。
雪解けを待ち、
春がくることを信じ、
じっと待ち続けることができる強さこそ、
松の強さである。
変わらぬ緑の松は、
いつも変わらないようでいて、
実際には生え代わりを続けている。
常に変化を続けることで、
松は不変の姿を保っている。
変わらないということは、
変化をしないということとは違った概念。
そのような
不変の部分を機織りに例えていた方が…
まとめてみると、
縦糸 = 「時代」
横糸 = 「今」
ふたつが重なり、布を生み出していく。
変わらない縦糸があるから、
どんな横糸が交わっても
美しい「今の時代」の布が編まれていく。
とても重要な縦糸。
しかしながら、
縦糸ばかりでは布にはならず。
もちろん横糸ばかりでも布にはならず。
松の不変の姿を観るとき、
そこに縦糸と横糸の関係と重なる…と。
復興桜を植え続けた飯舘村のご夫婦。
寄り添い佇むこの松…。
お互いがいなければ、
なし得ない不変の姿…。
飯舘村の恩師が教えてくれた
この土地に桜とともに寄り添う松…
ご夫婦の姿…
恩師は、私に…
禅語の意味を説きながら…最後に
『不変が大事』 と。
『松樹千年の翠』を通じて
不変の真理を学びました。
感謝です❤️
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